兵庫県下でも数少ないレンコンの産地、姫路市。
第二の人生を、れんこん栽培に捧げる田村高一さんの情熱を語ってもらった。
a.e.秋になると蓮の花が散り、花托が高らかに伸びる。
b.ホースの水圧で泥をかきわけ、泥を落とす。
c.一本ずつ丁寧にブラシで泥を洗ってから出荷。
d.「やれるところまで、精一杯やってお客さんを楽しませたい」と田村さん。
「お客さんの笑顔に出会えることが、何よりも嬉しい。“おいしい”と言ってもらえるよう、一生懸命作るだけ」
田村高一さんが農業を始めたのは定年退職後。過酷な作業をもろともしないパワーの源は、会社員時代にはなかったやりがいにあるという。
第二の人生を充実させるレンコン栽培
姫路市の西南に位置する網干区~大津区は、兵庫県下でも数少ないレンコンの産地として知られる。揖保川と夢前川に挟まれ地下水の湧出が多いこの地域は、もともと粘土質の低湿地帯で水稲栽培が困難だった。
そのため、約100年前の大正時代初期に山口県から種苗を持ち帰って栽培したことからレンコン栽培が広がっていった。現在では、住宅地や田んぼのすぐ横でレンコンを栽培する蓮田も多く、背の高さをゆうに越すハスの葉や、夏になると一面に咲く美しいハスの花が町の風景に溶け込み目を奪われる。
そんな蓮田で毎日レンコン栽培と向き合っているのが田村高一さん。生まれも育ちも姫路市内ではあるが、蓮田を始めたのは60歳になってから。サラリーマンだった田村さんは定年退職後に独学で栽培方法を学び、現在8年目になる。「長年勤めた会社を辞めてから何か趣味を見つけようと思い、スポーツカーや単車を買って出かけたりもしました。
仲間も増えてそれなりに楽しかったのですが、半年も経つと飽きてしまって。これからの人生に生きがいを見つけたいと思ったんです」。そこで 目をつけたのが、子どものころから自然と目にしていたレンコン栽培。「これならやりがいもあるはず」とレンコンを作り始めた。
泥地の中で行う過酷な収穫作業
網干界隈でのレンコン栽培は、もともと田んぼだった場所に地下水を張り、土壌を柔らかくした泥池の中で行うことが主流。4月に種レンコンを植え付け、収穫は8月中旬から翌4月まで続く。田村さんに栽培方法についてこだわりを聞くと「特にないねぇ」と意外な返答が。
植え付け時に鶏糞などを混ぜた堆肥を入れ、その後は農薬や化学肥料は一切使わず追肥も行わない。しかし、このシンプルな方法だからこそ力強く育ち、レンコン本来の旨味を引き出せるのだ。
蓮田での作業は、ゴム製のつなぎに身を包み、這いつくばるような格好で腰まで水につかりながら行われる。収穫は、ホースからひいた地下水の水圧で周りにある土をかき分けながら手探りで。素人では泥に足を取られてなかなか自由に歩けないところを「慣れればたいしたことないよ」と、スイスイと歩くその姿はとても68歳とは思えない。
対面販売ゆえの消費者とのつながりが活力に
蓮田での様子でもわかるように、田村さんはとにかくパワフル。「栽培を始めたものの、最初は売り先を見つけるのが大変でした。レンコンを持って飛び込みで民家を一軒一軒回って、行商したりしていました」。そのかいあって、現在では田村さんが作るレンコンのファンとなった固定客は100軒にものぼる。
そうして築いた消費者とのやりとりが「何よりものやりがい。直接おいしかったと言ってもらえることは、サラリーマンの時には得られない充実感があります」と話す。「すぐにそれぞれのニーズに答えられるように」と、購入した人の好みや特徴などは、データ化して管理。そうした細やかな対応から田村さんの消費者を大切にする姿勢がとても伝わってくる。
そして、毎年奥さまと趣味の海外旅行に行くなど、好きなことを楽しむことを忘れないこともパワーの源だろう。「人生は、現在を精一杯生きようとする、その気持ちが一番大切。自分の母親が71歳で亡くなったので、同じ歳になるまではとりあえず今を全力で取り組もうと思っています」。
水圧で泥が跳ねて眼鏡に飛び散っても気にせずにキビキビと収穫を進める田村さんを見ていると、まだまだ現役第一線。消費者へのサービス精神とレンコンと真摯に向き合う人柄に、これからもますますファンが増えそうだ。
出典元:食べる通信