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40年近い歴史を持つ 多可郡 多可町 加美区 『播州百日どり』

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美しい山々に囲まれた多可郡多可町。
40年近い歴史を持つ播州百日どりの未来を担う、若き養鶏家・石塚竜司さんを訪ねて。

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a.せせらぎとともに穂を揺らすすすきの姿が美しい秋の杉原川。
b.42日齢の鶏。まだあどけない表情がかわいい。
c.鶏舎ごとに育成記録が作成し、鶏の健康管理を行われる。
d.e.空気の澄んだ山間にある鶏舎。

 

「生産者はいくつになっても生涯一年生。おいしさを追求し、広めていくのが常に課題です」

“安心安全で味のよい鶏を”と37年前に生み出された播州百日どり。最若手の石塚竜司さんが思う、播州百日どりの魅力と可能性。

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使命感にかられて始めた養鶏

町土の約8割が山林で覆われ、ほぼ中央を南北に清流・杉原川が流れる多可町加美区。播州の奥座敷に位置し、おいしい空気と水に恵まれた環境でのびのびと育っているのが播州百日どり。昔から養鶏が盛んだったこの町で、昭和53年にJAが独自に開発した銘柄鶏だ。

現在、6軒の養鶏家が生産を行い、38歳の石塚竜司さんはその中で最若手として次世代を担っている。石塚さんが養鶏を始めたのは8年前。実家は加美区で農業を営んでいたが、大学卒業後は地元企業に就職して農業とは別の仕事をしていた。

「結婚して子どもも生まれて、仕事もそれなりに安定していた頃、とある地元農家さんに誘われて。僕が子どもの頃は、百日どりの飼育が最も盛んだった時期で、昔から当たり前のように触れてきて、おいしいと思っていました。けれど近年は他地域の地鶏やブランド鶏に押されて、生産量がずいぶん減ってしまって。このまま廃れてしまうのはもったいない、誰かがもっと盛り上げていかなきゃと、ゼロの状態から生産をスタートしました」。

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100日分の手間暇による賜物

播州百日どりは、毎回フランスからサソー系種の雛を直輸入して孵化場で母鶏になるまで飼育し、早く大きく成長するホワイトコーニッシュの雄と交配させて生まれる。20日齢の雛を鶏舎ごとに分けて、肉のうま味の素であるイノシン酸がピークに達するまで、約100日間掛けてじっくりと育てるのが特徴だ。

飼育が行われるのは、日光がたっぷりと降り注ぎ、通気性の良い開放鶏舎。80坪の鶏舎で1,800羽が育ち、これは一坪あたり22羽を飼育していることになる。一坪あたり50羽の面積で育てるブロイラーと比べれば、いかに広々とした空間で育っているかがわかる。「ゆったりとしたスペースで平飼いすることで運動量がアップし、肉の締まりがよくなるんです。

より自然に近い環境の中で育つため、固すぎず柔らかすぎない絶妙な肉質に。甘味のある脂がほどよくついて、焼いて冷めてもおいしいんですよ」と石塚さん。

また、エサや水にもこだわりが。米や油かすなどを混ぜた専用の穀物飼料を1日8回補充し、常に餌が食べられる状態に。播磨十水のひとつでもある名水“松か井の水”を飲ませ、万全の栄養状態をキープする。

しかし、飼育日数が100日と長い分、手間暇が多いのも言わずもがな。飼育期間が85日ほどになると闘争性や発情など鶏の本能が強まり、ケンカによって傷つく鶏が増えるので、雛のうちに上のくちばしを切るデビークといわれる作業が一羽ごとに行われる。

また、暑さから鶏を守るため扇風機で風を通し、冬の寒さにはカーテンを閉めて対応するなど、細やかな温度調整が必要となる。「なるべく鶏舎の中を平和に保ち、100日の間にいかにストレスなく健康に肉をつけさせるかがポイントです」。まるで母親のような愛情をたっぷり注ぐことによって、おいしさが裏付けられているのだ。

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最若手としてできることを

現在、石塚さんはパートナーとともに10棟の鶏舎を経営し、一年で出荷を3回行っている。通常のブロイラー養鶏と比べると倍以上の労力とコストもかかる播州百日どりだが「やりがいは嫌ってほどありますね」と、飼育の充実ぶりを語った。

「鶏の病気で一鶏舎アウトにしてしまったことも、洪水で一鶏舎なくなったこともあります。そのときはすごく落ち込むけれど、それも勉強で。失敗からも学べることはたくさんありますね」。

気候も、人間社会の環境も日々変化がある。同じ日は一日とないため、8年目を迎えた今も「生涯一年生」だという。「播州百日どりは、もっと評価されていいものだと思う。最近は、百日どり料理コンテストを主催したり、生産者が焼き鳥を販売するイベントに出ることも。

行列ができてすぐ完売することも多く、直に反応が見られると嬉しいものですね。今後もできる限りイベントに出たり、企画したり、若手である僕がもっと前に出て、地元から盛り上げていけたらと思っています」。

 

 

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出典元:食べる通信

 

食べる通信